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怨霊と御霊信仰(ごりょうしんこう)③ [神様について]

関連記事:怨霊と御霊信仰(ごりょうしんこう)①
    :怨霊と御霊信仰(ごりょうしんこう)②

凄まじい内容が続いて驚かれた方もおいでになるかもしれませんが
道真様はとても真っ直ぐで優しい方なのです♪

例えば、道真様を左遷させた藤原時平の弟、
藤原忠平は道真様が左遷された後も、
道真様を思いやる手紙を送り続け、
醍醐天皇の後、朱雀天皇の時代に摂政、関白へと出世します。

942年に西京七条二坊に住む貧しい家の娘で
多治比文子の枕元に道真様の霊が現れ
「私が生きてた頃、よく右近馬場という所に遊びに行きました。
 そこに行けば私の胸の内に燃えさかる恨みの炎は安らぎます。
 右近馬場に祠を建て私を祀ってください」というお告げがあったとか。
文子は貧しく、祠を建てる事ができなかったので
自分の家の敷地内に祠を建てて祀る事にしました。

5年後、近江の国(滋賀県)の太郎丸に同様のお告げがあり、
947年祟り神として猛威を振るわれた道真様を鎮めるべく
太郎丸の父親が右近馬場にある朝日寺の住職に相談して
文子の家の庭にあった祠を右近馬場に移し、
道真様のお告げ通りに社を建ててようやく祀る事が叶います。

北野天満宮.jpg
画像は北野天満宮

この話を聞いた当時の右大臣、藤原師輔(藤原忠平の息子)は、
952年にその社を増築して現在の北野天満宮となるのです。
道真様は天満大自在天神とも呼ばれていて
こうして天神信仰が広まっていくのでした。

怨霊と御霊信仰(ごりょうしんこう)①で綴った通り、
太宰府天満宮は道真様の御墓所なので
太宰府天満宮に参拝して手を合わせる事は、
道真様のお墓参りをしている事と同じです。

太宰府天満宮.jpg
画像は太宰府天満宮拝殿

生前の道真様の生き方から至誠の神として信仰されていますが、
お名前を見ても、生き方を見ても真っ直ぐな方なのです。
道真様の漢字は【】と【】ですが、
真(まこと)とは純粋混じり気がないという意味があり、
その名に恥じること無く、真っ直ぐに人としての道を歩まれた御仁なのです。

今では天神様として、学問の神様として、至誠の神、書道の神として
誰からも親しまれ、崇敬されている道真様。
知れば知る程に大好きな神様の1柱であり、
もう何年も前の話ですが信頼に足る霊能者の方を通じて
私の産土の神様を尋ねた事があります。
そして道真様から人生の助言を頂戴した事がありますが、
改めて見直してみてもスゴイとしか・・・。
頂いたお言葉の個人的な印象ですが、
頭脳明晰(学問の神と称される天才ですから当然)で
真っ直ぐで優しく、端的で鋭く本質を突きながら綴られる言葉の数々。
神棚には太宰府天満宮の神札が納まっている事は言うまでもありません!

話は変わって平昌オリンピックで
見事金メダルを獲得された羽生結弦選手。
国営ロシア通信では【日本の神】とまで賞賛され、
陰陽師をイメージしたSEIMEIを演じ世界最高得点を更新。

陰陽師は、685年に陰陽五行説をベースとして歴史に登場します。
この陰陽師、今で言う国家公務員で
お仕事は占術や呪術、祭祀を司っていました。
つまり、神祇官の一翼を担った存在が陰陽師です。

菅原道真様は845年~ 903年
安倍晴明は  921年~1005年なので直接の関わりはありません。
しかし、歴史は繰り返すと言うか、
安倍晴明も似たような境遇を経験するのです。

安倍晴明は花山天皇に仕えていたのですが
藤原兼家、道兼らが、外孫である一条天皇(7歳)を即位させる為に、
当時の天皇であった花山天皇(在位2年?19歳)を策略により退位させます。
(986年7月31日 寛和の変)

退位させられてしまった花山天皇と共に安倍晴明は一族を連れて、
京の都を離れるのですが、この時に安倍晴明一族が
菅原道真公をお祀りしたのが上野天満宮・・・別名、名古屋天神。

上野天満宮.jpg
画像は上野天満宮

安倍晴明が菅原道真公をお祀りした理由として
上野天満宮では、
「自らの境遇と照らして菅原道真公の心情を儚く思い、
 上野天満宮を建て、菅原道真公を手厚く奉りました。
 そしてその思いがかない、安倍一族は一部を
 当地に残して無事に京都に戻ることが出来たそうです。」
と、なっています。

ホントかな?って事で実際の史実を時系列で見ていくと・・・

 903年 菅原道真様薨去
 908年 藤原菅根 落雷により卒去
 921年 安倍晴明 誕生
 930年 清涼殿落雷事件
 947年 道真様の怨霊を鎮める為に北野天満宮創建
 949年 勅命により大阪天満宮(天満天神)創建
 968年 花山天皇 誕生
 978年 安倍晴明自宅に落雷(道真様死後75年)
 986年 寛和の変
 987年 道真様に北野天満宮天神の称が贈られる。
 992年 花山法皇 帰京?
 993年 道真公に正一位左大臣追贈。
       道真公に太政大臣追贈。
1005年 安倍晴明 死去
1008年 花山法皇 崩御

上野天満宮の創建は不明ですが986年以降992年未満でしょうか。

今回の内容で言える事は日本の神様が祟るのではなく、
先に祟られるような事をしている事が問題であるという事を
忘れてはいけません。
もちろん、道真様の祟りという証拠は何1つありませんからね!

怨霊と御霊信仰(ごりょうしんこう) 3部作 完

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