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神社参拝弾丸ツアー in 広島③ [神社参拝記]

2018年10月20日(土)
尾道市役所にて友人と朝7:30頃に合流!
尾道市役所からの景観.jpg
画像は待ち合わせをした尾道市役所付近からの景観

ここからが本番、弾丸ツアーの開始です。
予定は組んだものの「予定は未定な旅」なのは公然の秘密。

というのも当初の予定だと艮神社(早朝参拝)、
未来心の丘 9:00~となっていましたが、
艮神社は昨日参拝しているので最初は未来心の丘と思いきや、
大島に渡る予定さえなかったのにカレイ山展望公園を目指します!
瀬戸田PAからの景色.jpg
でも、その前に水分補給を兼ねて生口島の瀬戸田PAでパシャリ♪
本日は晴天なりって事で絶好の観光日和です!

カレイ山展望公園
カレイ山展望公園.jpg

瀬戸の水軍歌詞.jpg
山頂には鳥羽一郎が歌う瀬戸の水軍の歌詞が刻まれた石碑。

カレイ山展望台.jpg
画像はカレイ山の展望台

展望台からの景色.jpg
澄み渡った素晴らしい景色に感動です!

能島 村上水軍本拠地.jpg
画像中央の右下にある無人島の小島が能島。
村上水軍の本拠地能島城があった場所です。
ちょうど船舶が通過して航跡が見えている島です。

伯方大島大橋.jpg
天気が良いのもそうですが、何よりも絶景です!
橋の名称は伯方大島大橋。
この橋の向こうが伯方の塩で有名な伯方島。
伯方の塩と言っても原料は・・・
メキシコ、オーストラリアの海水なので誤解しないように。

村上水軍博物館
村上水軍博物館.jpg

村上海賊の娘.jpg
村上海賊の娘でも有名な村上水軍。
宣教師ルイス・フロイスは瀬戸内海航路を支配した村上海賊を
日本最大の海賊と呼んでいますが、
実は英語のPirate(海賊)に当てはまらないのです。
そこで日本遺産では「KAIZOKU」と表現しています。
というのも、村上海賊(村上水軍)は無作為に船を襲って
略奪を行う無法者や財宝を求めて大航海を行う集団ではなく
権力に寄らず自らの定法に従って独立した勢力を保ちながら
海の安全、海上交通の秩序を保っていたのです。
瀬戸内海の東西を行き来する荷船には海賊を乗せる事を
上乗りと呼び、これが通行手形となって航海の安全が保障されました。
また、海賊を乗せなくても通行料を支払う事で旗や免符が与えられ
通行許可の証としていました。

戦時には海の武士団、平時は船の護衛や水先案内人、
商人や漁業者としても活動しており、
パイレーツやバイキングとは違った日本独自の海の民で
適切な英訳が見当たらないのが村上水軍なのです!

村上水軍で有名なエピソードの1つとして
厳島の戦いあります。
戦国時代の武将として有名な毛利元就と陶晴賢の合戦。
毛利方3000~4000に対して陶方は20000~30000と
圧倒的戦力差での戦いであったと言われていますが
実際には陶方は10000未満の軍勢であったとする説もあります。
毛利方は戦力的に不利な状況下で戦況を覆したのは
毛利方に味方した村上水軍の力に寄る所が大きいと言われています。
この戦を機に毛利は山陰山陽10カ国を有する大大名になります。

丁字戦法.jpg
画像は丁字戦法の説明

博物館を訪れると秋山真之生誕150年記念として
秋山真之と村上海賊のテーマの企画展をしていました。

秋山真之って誰?って思う人も居ると思いますが
司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の主人公の1人です。
世界最強のバルチック艦隊を撃滅した日露戦争。
連合艦隊旗艦の戦艦三笠に搭乗し、
東郷平八郎の作戦担当参謀として活躍した御仁です。
東郷平八郎は大胆な敵前大回頭(トーゴーターン)戦法を用いて
日本はロシアに勝利した世界で唯一の国家となります!
この敵前回頭は一般的に丁字戦法と呼ばれ
実は村上水軍が海戦で良く用いていた戦術です。
秋山真之は村上水軍の戦術を学び参考にしたと言われています。

小早船.jpg
小早船看板.jpg
村上水軍船.jpg

博物館からの景観.jpg
村上水軍博物館からの景観。

能島水軍.jpg
博物館の目の前には能島水軍!
こちらで船に乗る事も出来るのですが
先を急ぐ弾丸ツアーな為、時間がありません。
というより、当初の観光計画に
カレイ山展望公園も村上水軍博物館も
入っておらず、当日に変更した行先なのです(笑)

みかんジュース.jpg
みかんジュース2.jpg
因みにここは四国は愛媛県、愛媛と言えばみかんですよね!
そんなわけで、心機一転みかんジュースGET♪
500mlすべてうんしゅうみかんを絞って作った100%ジュース。
一般的な100%みかんや濃縮還元ジュースとは
1味も2味も違って濃密でとっても美味しかったですよ!

大山祇神社鳥居.jpg
伊予国一宮大山祇神社
村上海賊が崇めた古来より由緒ある神社。
国宝に指定されている武具甲冑の約8割は
この神社の宝物館に展示されています。

大山祇神社鳥居額.jpg
鳥居には日本総鎮守 大山積大明神と書かれています。
前回、尾道を一人で観光した際に参拝した艮神社。
実は艮神社の鳥居のある場所まで昔は海でした。
海岸線にある鳥居・・・どこか厳島神社を連想させます。
そして艮神社拝殿の後ろには千光寺があります。
今は艮神社ですが、本来は多氣遠宮、建遠神社。
御祭神は素戔男命。
天平大朝録には「山田岩根麻素多氣遠神社」という神社名で、
スサノオ様が「この土地は勝れて清浄なる土地故に賀須麻の岩根」と
名付けられ、ここから鞆の浦に渡ったとか。
また、神宮皇后はこの神社を「建遠神社」と名付けて
「長江の里」と名付けたとか。
976年に吉備津彦命を勅命により勧請し、
1200年頃には多賀宮と合社。
1275年の古地図には丑寅社と記され
今では艮神社となっています。
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島②

天然記念物 樹齢2600年の楠.jpg
楠看板.jpg
神社境内には天然記念物の樹齢2600年になる楠が!
西暦2018年の今年は皇紀に変換すると2678年。

大山祇神社看板.jpg
記紀神話による神々様の系譜を見ると・・・
ややこしいものの日本総鎮守と称す理由もわかります。
静岡県三島市にある三嶋大社もこの大山祇神社が源になります。
ただ、国学四大人(しうし)の平田篤胤が大山祇神は
事代主神であると説いた為、主祭神が事代主神と変更になり、
今では大山祇神、事代主神の2柱が主祭神となっています。

国旗掲揚ポールと国旗.jpg
国旗掲揚ベース.jpg
一般に日本総氏神は伊勢にある神宮主祭神の天照大神ですが、
この大山祇神社も日本民族総氏神として
日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷、
国民一般から崇敬篤い神社として有名なのです。

著名な参拝記念写真1.jpg
著名な参拝記念写真2.jpg
伊藤博文.jpg
山本五十六.jpg
本田宗一郎.jpg
伊藤博文、山本五十六、本田宗一郎と
著名な方々が数多く参拝されています。

これだけ写真を撮影してUPしておきながら・・・
大山祇神社拝殿が抜けている事に気付いた方は
素晴らしいです!
実は、記事を綴っていて拝殿を撮影していない事に気付きました。
神社の撮影するタイミングとして適切なのは
拝殿にて手を合わせた後、
神々様に写真を撮らせて下さいと
一言添えて撮影するのが理想ですが、
私は忘れるので何も考えずに最初に撮影してしまう人です。
それなのに拝殿を撮影し忘れるなんて事があるんですね・・・
つまり、参拝したタイミングで拝殿を撮影する許可が
私には降りなかったって事かもしれません。
完全に抜け落ちていました。

大山祇神社拝殿.jpg
画像は大山祇神社拝殿

仕方がないので友人が撮影したものを送ってもらいました。
画像を確認すると・・・あまりにも場に馴染み過ぎているので
拝殿だと気づかなかったのかもしれません。
でも、手を合わせて祝詞奏上してるんですけどね・・・。

鶴姫ロード.jpg
鶴姫ロード

1541年6月大内氏配下の水軍将・白井縫殿助房胤らが侵攻し
迎撃の為に三島水軍を率いた鶴姫の次兄の安房が討ち死にすると
三島明神に祈請し、甲冑を着て馬に乗って大薙刀を振るって
敵陣へ駆け込むなり、
「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は出だせたまえ」
と味方を奮起させて撃退。
同10月に大内氏が侵攻してくると、
兄安房に代わって16歳の鶴姫が出陣し
再び大内軍を撃退。
この戦いの後、安房の跡を継いで陣代となった
越智安成と鶴姫は恋仲に・・・。

鶴姫は大山祇神社大宮司の娘で
三嶋水軍の将である越智安成と共に海戦を戦い
侵攻してきた大内氏を2度撃退。
大内氏は2度の敗戦に業を煮やし、
3度目は多勢の大侵攻で瀬戸内海の派遣を目論みます。
3度目の大侵攻で越智安成は討ち死にしてしまい
圧倒的不利の中、鶴姫は残存兵力を集結させて
夜襲を仕掛けて大内勢を潰走させて大三島を守ります!
その後、戦死した越智安成を想って沖合へ漕ぎ出し
「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」
と辞世の句を詠み、18歳で生涯を閉じたと伝えられています。
小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』(鶴姫伝説)

大山祇神社参拝を終えた所で丁度お昼の時間帯となり、
大山祇神社の近くにある海鮮丼でお昼を食べようと計画していたものの
どうやら人気店として行列してる感じ・・・
先を急ぐ弾丸ツアーなので、時間を優先して
多々羅しまなみ公園を目指す事にしました。

多々羅しまなみ公園.jpg
多々羅大橋と看板.jpg
多々羅大橋1.jpg
画像は多々羅大橋
お昼を頂くと忘れてしまいそうなので
先に多々羅大橋の景色を堪能します♪

サイクリストの聖地.jpg
画像はサイクリストの聖地
本当に絶景ばかりのしまなみ海道です!

ソラとウミのアイダ 多々羅大橋.jpg
ソラとウミのアイダ 多々羅大橋2.jpg
因みに2018年秋アニメの「ウミとソラのアイダ」ではこんな感じに・・・
自分が旅した場所がこんな風に描かれるのを見ると
新鮮な気持ちになります。
「ソラとウミのアイダ」
(C)ForwardWorks corporation/ソラウミ制作委員会

マハタ.jpg

地域的に海産物は間違いが無いので
海鮮丼の類にしたかったけれど
お昼に選んだのは幻の高級魚マハタ!
食べたことも聞いたこともない魚だけど
幻の高級魚としてイチオシされているので
この地域の名物料理だと思うけど、
道の駅なので地元のおばちゃんが作っているのだろうし・・・
観光プライス的なお値段してるので
味は期待してはいけないと思ってました。

マハタの薄造り御膳.jpg
メニューにある最高級プライスの多々羅御膳と悩みつつ、
私達はどこか惹かれるマハタの薄造り御膳に決定!
折角の観光なので多々羅御膳を頼もうかなと
理性では考えるものの、直感が薄造り御膳を選ぶんですよ!

複数のエレベーターがあるビル等でエレベーター待ちしてる時に
どのエレベーターが1番早く開くか?
こんな事をした事があると思います。
たいていの場合、理性で合理的に考えた結果通りにはならず、
直感的に感じた通りの結果になる事を体感的に知っています。
ある程度霊気を使いこなせて修練を積んでいくと
直感的技法を使えるようになるのと
直感で判断した方が正しい結果になる事を知っているので
直感を感じた時には直感の選んだ選択肢を選ぶように心掛けてます。
人は魂、精神、身体の三つで構成されているのですが
直感は魂の域、理性は精神の域、身体は経験する域です。

で、お味の方はというと・・・マジで美味い!
食感はコリコリとしていて鯛に近い美味。
画像からはわかりませんがレモンがある所は
マハタの皮を剥いだ炙り皮。
キレイに皮を剥ぐのは技術が必要とされる作業だし、
弾力性があってモチモチした食感に感激です。
マハタのお造りにあった御飯も美味しくて食が進みます!
道の駅なので、わさびはチューブ入りの・・・
こんな風に思ってましたがすりおろしたてで
風味、鮮度、味、全て良しに感動です!
マハタのお吸い物とマハタ尽くしな薄造り御膳。
これ料亭で出されたとしても納得してしまいます♪

マハタ2.jpg
日本魚類学の父、田中茂穂は
マハタと云うのはハタ類中最も美味、
 又は最も多いことを示したものである」と。
100%道の駅の味じゃない!(笑)
板前経験のある友人も美味と絶賛していた位に
良い意味で期待を裏切られた素晴らしいランチでした♪

タグ:参拝記 広島
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