神社参拝弾丸ツアー in 広島⑧ [神社参拝記]
神社参拝弾丸ツアー in 広島⑧
2018年10月22日(月)
今旅最終日は日本三景が1つ安芸の宮島観光。
宮島だけで1日を費やした贅沢な旅♪
昨夜はナイトクルーズで感動しましたが
本日は日中の宮島観光です。
先ずは厳島神社参拝前に地御前神社へ参拝します。
地御前神社は厳島神社の対岸にある神社で
厳島神社を内宮、地御前神社は外宮の関係にあります。
祀られている神様は厳島神社と同じ宗像3女神。
神社名の地御前は神(厳島)の御前という意味です。
厳島神社の大鳥居の扁額に注目します。
くぐる前とくぐった後の扁額に記された文字が異なります。
画像はクリックすると大きくなるので
昨夜のナイトクルーズ画像で説明します。
神社境外(沖側)からは厳島神社で
神社境内(神殿側)からは伊都岐島神社。
厳島神社はご存知宗像3女神を祀られた神社で
市杵島姫神、田心姫神、湍津姫神が主祭神。
宮島は元々嚴島と呼ばれていたという説があり、
(神に)斎く(いつく = 仕える、祀る)島という意味です。
そして、鳥居の扁額を見ると・・・
伊都岐島神社(イツキシマ神社)
ご祭神を見ると・・・
市杵島姫神(イチキシマヒメ神)
イチキシマヒメの「イチキ」は「斎き(いつき)」とも
言われているとか。
地御前神社が厳島神社の対岸にあり、
厳島(神社)の御前にある神社で地御前神社。
こういった神社名はわかりやすくて良いですね!
因みに奈良県にも神御前(かみのごぜん)神社があり、
神体山である三輪山の御前にある神社という意味です。
祀られている神様は異なりますが、
共通点として出雲系の神々であることを書き記しておきます。
内宮や外宮と聞くと伊勢にある神宮を連想しますよね。
参拝順は外宮、内宮(本宮)の順に参拝するのが
古来よりの習わしとなっていて、
私達も厳島神社参拝前に地御前神社から参拝を始めます。
地御前神社の鳥居扁額を確認すると
境外からは厳島外宮社、
境内からは地御前神社と記されています。
神社境内に入ると心地よい神気に包まれ
さすが厳島神社外宮だと思いました。
本宮の厳島神社ばかりが注目を浴びますが
個人的に好きな神社の1社でした。
この先に安芸の宮島があります。
昨夜と違って太陽がある宮島フェリー乗り場♪
まばゆさを感じる程に今日も観光日和です!
フェリーから見る厳島神社。
本当に絵になりますね。
そして上陸。
宮島町として歓迎してくれるのは有り難いですね!
鹿ぁ~、かわいい♪
あぁ、持って帰りたい(笑)
時期的に七五三ですが、ちょうど修学旅行とも
重なっていて学生さん達も早朝から参拝でした。
やはり、かあいい♪
太陽光を浴びる大鳥居。
昨夜とは違った印象を受けます。
一夜明けた後でも奉納ライブの形跡が残ってます。
修学旅行と重なってしまいましたが
厳島神社はたいへん人気のある神社なので
参拝客の少ないタイミングは本当に限られます。
今回は修学旅行と重なってしまいました。
うっとりとしてしまう程にキレイな朱色♪
平安時代後期に平清盛の援助を得て回廊を繋げて
海上社殿として造営されたのが厳島神社です。
「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」との
お告げを聞いた事が厳島神社造営の理由とされています。
※平家物語より
平家はこの厳島神社を大層厚く信仰しましたが
ご存知の通り平家は滅亡し源氏へとバトンタッチします。
戦国時代に入ると毛利元就が大切にしていきます。
その毛利元就の尋常ではない厳島神社への信仰心を綴ると・・・
神域において血は禁忌ですが
毛利元就と陶晴賢は、厳島で戦いをします。
厳島の戦いで勝利を得た毛利元就は社殿を海水で洗い、
血のついた土は島外へ運び出しました。
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島③
この厳島の戦いの折、
敵方の放った火で厳島神社の社殿が焼失しては
毛利家の恥として必死に消火活動を努めたのが
毛利元就の次男、吉川元春。
有名な吉川晃司のご先祖様でもあり、
岩国藩領主の吉川家の祖でもあります。
錦帯橋観光で訪れたあの岩国城です。
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島⑥
合戦の後、毛利元就の嫡男隆元が
和智誠春の接待を受けた後に急死。
毛利元就は和智誠春が毒を持ったのではないかと疑い
和智誠春とその弟の元家を厳島に監禁します。
監禁された和智誠春とその弟の元家は
厳島神社へ逃げ込み毛利元就に対して
攻め込めば本殿を焼き払うと脅すものの
元就は兵を派遣して和智兄弟を討ち取ります。
神域、しかも厳島神社を血で穢してしまった毛利元就は
社殿そのものを再建して穢を払いました。
つまり、今現在の厳島神社は毛利元就が再建した社殿です。
厳島神社が崇敬厚く大事にされているかが
よくわかるエピソードの1つです。
昨夜、清盛公生誕900年記念として
島谷ひとみさんが奉納ライブを行っていた場所がココ。
神様の視点だとこんな感じかな?
でも、神様は自由自在に移動できるので
琵琶を持って一緒に演奏を楽しまれていたかもしれませんね♪
i厳島神社の御祭神は宗像三女神ですが、
厳島神社そのものも国宝に指定されているのです♪
こんなにもスゴイ神社なのに
旧官幣中社というのは意外な現実です。
神社境内を散歩していたら
厳島でヨガとは流石です♪
そして・・・こんな注意事項が・・・。
うそ・・・マジで?
2018年10月19日(金)に出会ったguntû(ガンツウ)と再会!?
こんな事があるとは・・・
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島②
昭和29年に創建された清盛神社。
没後770年の時を経て神様として
祀られる事になった清盛公です。
2018年10月22日(月)
今旅最終日は日本三景が1つ安芸の宮島観光。
宮島だけで1日を費やした贅沢な旅♪
昨夜はナイトクルーズで感動しましたが
本日は日中の宮島観光です。
先ずは厳島神社参拝前に地御前神社へ参拝します。
地御前神社は厳島神社の対岸にある神社で
厳島神社を内宮、地御前神社は外宮の関係にあります。
祀られている神様は厳島神社と同じ宗像3女神。
神社名の地御前は神(厳島)の御前という意味です。
厳島神社の大鳥居の扁額に注目します。
くぐる前とくぐった後の扁額に記された文字が異なります。
画像はクリックすると大きくなるので
昨夜のナイトクルーズ画像で説明します。
神社境外(沖側)からは厳島神社で
神社境内(神殿側)からは伊都岐島神社。
厳島神社はご存知宗像3女神を祀られた神社で
市杵島姫神、田心姫神、湍津姫神が主祭神。
宮島は元々嚴島と呼ばれていたという説があり、
(神に)斎く(いつく = 仕える、祀る)島という意味です。
そして、鳥居の扁額を見ると・・・
伊都岐島神社(イツキシマ神社)
ご祭神を見ると・・・
市杵島姫神(イチキシマヒメ神)
イチキシマヒメの「イチキ」は「斎き(いつき)」とも
言われているとか。
地御前神社が厳島神社の対岸にあり、
厳島(神社)の御前にある神社で地御前神社。
こういった神社名はわかりやすくて良いですね!
因みに奈良県にも神御前(かみのごぜん)神社があり、
神体山である三輪山の御前にある神社という意味です。
祀られている神様は異なりますが、
共通点として出雲系の神々であることを書き記しておきます。
内宮や外宮と聞くと伊勢にある神宮を連想しますよね。
参拝順は外宮、内宮(本宮)の順に参拝するのが
古来よりの習わしとなっていて、
私達も厳島神社参拝前に地御前神社から参拝を始めます。
地御前神社の鳥居扁額を確認すると
境外からは厳島外宮社、
境内からは地御前神社と記されています。
神社境内に入ると心地よい神気に包まれ
さすが厳島神社外宮だと思いました。
本宮の厳島神社ばかりが注目を浴びますが
個人的に好きな神社の1社でした。
この先に安芸の宮島があります。
昨夜と違って太陽がある宮島フェリー乗り場♪
まばゆさを感じる程に今日も観光日和です!
フェリーから見る厳島神社。
本当に絵になりますね。
そして上陸。
宮島町として歓迎してくれるのは有り難いですね!
鹿ぁ~、かわいい♪
あぁ、持って帰りたい(笑)
時期的に七五三ですが、ちょうど修学旅行とも
重なっていて学生さん達も早朝から参拝でした。
やはり、かあいい♪
太陽光を浴びる大鳥居。
昨夜とは違った印象を受けます。
一夜明けた後でも奉納ライブの形跡が残ってます。
修学旅行と重なってしまいましたが
厳島神社はたいへん人気のある神社なので
参拝客の少ないタイミングは本当に限られます。
今回は修学旅行と重なってしまいました。
うっとりとしてしまう程にキレイな朱色♪
平安時代後期に平清盛の援助を得て回廊を繋げて
海上社殿として造営されたのが厳島神社です。
「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」との
お告げを聞いた事が厳島神社造営の理由とされています。
※平家物語より
平家はこの厳島神社を大層厚く信仰しましたが
ご存知の通り平家は滅亡し源氏へとバトンタッチします。
戦国時代に入ると毛利元就が大切にしていきます。
その毛利元就の尋常ではない厳島神社への信仰心を綴ると・・・
神域において血は禁忌ですが
毛利元就と陶晴賢は、厳島で戦いをします。
厳島の戦いで勝利を得た毛利元就は社殿を海水で洗い、
血のついた土は島外へ運び出しました。
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島③
この厳島の戦いの折、
敵方の放った火で厳島神社の社殿が焼失しては
毛利家の恥として必死に消火活動を努めたのが
毛利元就の次男、吉川元春。
有名な吉川晃司のご先祖様でもあり、
岩国藩領主の吉川家の祖でもあります。
錦帯橋観光で訪れたあの岩国城です。
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島⑥
合戦の後、毛利元就の嫡男隆元が
和智誠春の接待を受けた後に急死。
毛利元就は和智誠春が毒を持ったのではないかと疑い
和智誠春とその弟の元家を厳島に監禁します。
監禁された和智誠春とその弟の元家は
厳島神社へ逃げ込み毛利元就に対して
攻め込めば本殿を焼き払うと脅すものの
元就は兵を派遣して和智兄弟を討ち取ります。
神域、しかも厳島神社を血で穢してしまった毛利元就は
社殿そのものを再建して穢を払いました。
つまり、今現在の厳島神社は毛利元就が再建した社殿です。
厳島神社が崇敬厚く大事にされているかが
よくわかるエピソードの1つです。
昨夜、清盛公生誕900年記念として
島谷ひとみさんが奉納ライブを行っていた場所がココ。
神様の視点だとこんな感じかな?
でも、神様は自由自在に移動できるので
琵琶を持って一緒に演奏を楽しまれていたかもしれませんね♪
i厳島神社の御祭神は宗像三女神ですが、
厳島神社そのものも国宝に指定されているのです♪
こんなにもスゴイ神社なのに
旧官幣中社というのは意外な現実です。
神社境内を散歩していたら
厳島でヨガとは流石です♪
そして・・・こんな注意事項が・・・。
うそ・・・マジで?
2018年10月19日(金)に出会ったguntû(ガンツウ)と再会!?
こんな事があるとは・・・
関連記事:神社参拝弾丸ツアー in 広島②
昭和29年に創建された清盛神社。
没後770年の時を経て神様として
祀られる事になった清盛公です。
コメント 0